私が産業医として入職した一社目の会社を「クビになった」経緯と教訓

私は後期研修医を辞めて、我流の転職活動のせいでなかなか上手くいかなかったわけですが、リクルートドクターズキャリア[PR]の転職エージェントのサポートで、なんとか常勤産業医として転職できました。さて、それで「あとは安泰」…とはならず、結論から言えば、3年目を迎えることなく「クビ」になっています。

そもそもその会社は産業医一人体制であり、指導や問題点の指摘をしてくれる人もいなかったため、しばらくして業務にも慣れ、定型的な仕事だけで「やっている気」になってしまっていました。

そうした慢心の中、人事部の課長から依頼をされました。このことが「クビの決定打」になることは、その時の私は全く知る由もありませんでした。

決定打となった一件

当時、ストレスチェック制度が導入された時期であり、「今後の取り組みに協力してもらいたい」という内容でした。

そこは内容的にも二つ返事で「分かりました、ぜひ協力させてください」と言うべきでしょうし、今振り返ってみても「そうすべき」であると思います。しかしながら何を思ったのか、生意気にも「それは私の仕事でしょうか」などと、今では考えられないようなことを私は口走っていました。

これが恐らく決定打となり、それからというもの会社側からの仕事依頼もほとんどなくなり、全くもって「会社から必要とされていない産業医」と化してしまいました。

たかをくくっていた私

にも関わらず、その頃はまだ「産業医として入職したら、クビにはされないだろ」とたかをくくっていました。そんな根拠はどこにもあるわけでもないのに、働き続けられる、と考えていたわけです。

その考えが誤りであったことに翌年1月、気づくことになります。人事部の部長から「残念ながら、次年度(4月~)の契約更新はしません」と伝えられ、最初は何を言っているのか分からないほどのショックを受けました。

「契約更新をしない=クビ」と告げられ、その時にようやく「たかをくくっていたのは誤りだった」ことに気づくわけです。そのまま自分のデスクに戻ることができず、しばらくぼんやりと窓の外を眺めていました。

遅かれ早かれ…

振り返ってみれば、課長との一件だけでなく、面談をしてもろくにフィードバックもせず、安全衛生委員会でもほとんど発言をすることもない。巡視では「問題なし」とサインとともに記載するだけ…本当に存在意義がない状態でした。

なのできっと、課長との一件がなかったとしても、遅かれ早かれ、「産業医を変える」ということは、当時の私の働きぶりを考えれば、行われていたのではないかと思います。

やはり「世の中、甘く見ていると痛い目に遭う」ということは当たっていると痛烈に思った一件です。ただ、私はこうした痛い目を見ないとなかなか気づけないというところがありますので、早めに気づけてよかったと今になって思います。

教訓として

会社側は、そんな産業医に部長クラスの年収を払っているほど甘くはないわけで、結果私は2年目にして「お役御免」となったというわけです。

この時の教訓として、「会社側に存在意義を示すことができる働きをする」「自然と相談が舞い込むような、会社側に頼ってもらえる産業医になる」ということが重要であると私は今でも思っています。

ただ、もしかしたら先輩産業医と一緒に働いていたら、「慢心している場合じゃない」と思えていたのではないか、とも思います。もちろん、もしも論なので、かまわずにいい加減な仕事ぶりだったかもしれませんが、それでもお手本の存在があったら「変わっていたのでは」とも思うわけです。

ですので、一社目の企業選択としては「複数の産業医が所属していて、先輩に指導を受けられる」環境が大事であると思っています。また、そうした求人の方が産業医未経験であっても受け入れてもらえる傾向にありますので、 リクルートドクターズキャリア[PR]などの転職エージェントに相談する際には、そのような希望をお伝えしてご相談をしてみてはいかがでしょうか。

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