「臨床医でいられなかった」産業医の私が思う「臨床医であり続けることの凄さ」【医師転職】

語弊がある言い方で、「けしからん」とおっしゃられる方もおられるかもしれませんが、私は「臨床医でいられなかった」という負い目を持ちつつ産業医という仕事をやっている部分があります。

臨床医であり続けることに限界を感じ、いわば「ドロップアウトして」産業医という仕事に辿り着いたという認識は今も変わらずあるため、今もなお臨床医として働いていらっしゃる先生方にはリスペクトを持っております。

ですので、たまにツイッターなどで見かける「まだ臨床医やってるのwww」といったツイートを見かけると、「なんでそんなことが言えるんだろうか?」と疑問に思っております。

そもそも、なぜ私が臨床医であり続けることができなかったのかというと、以下のような理由があります。

「臨床医」としての働き方

私が後期研修医として勤務していた頃、週に2回、定時を超えてから始まるカンファレンスがありました。私の所属する科の医師全員が、受け持ち患者全てについて、診断や治療についての進捗状況を確認しており、毎週9時過ぎになってようやく解放という状態でした。

さらには、当直後の勤務や、時間外呼び出しなどなど、長時間に渡る勤務についても、私は耐えきれなかったということがあります。

また、自宅に戻った後も、「いつ電話が鳴るんだろうか…」と思って何度も着信履歴を確認してしまうなど、今で言う「つながらない権利」のない生活にも非常にストレスを感じていました。

院内の複雑な人間関係

病院内には様々な職種、立場の方がおられ、そうした複雑な人間関係の中に身をおいて、上手くやっていく必要があるわけですが、そうしたことが私にとっては難しかったわけです。

さらには、飲みの席が苦手で、そうした機会を利用して人間関係を構築するといったことができなかったことも、上司・先輩たちと関係を築くことができなかった問題点だったように思います。また、基本的に体育会系・縦社会である世界に馴染めなかったことも問題であったと思います。

結果、医長に仕事が辛いことも打ち明けられず、話し合うこともできずに退職することとなってしまいました。

ストレス耐性の低さ

学生時代は部活動もやっておらず、学校・予備校・自宅の往復という生活を送っておりました。大学に入っても、家庭教師のバイトが加わるぐらいのもので、いわゆる社会の荒波に揉まれたりすることがありませんでした。

結果、初期研修医となってからというもの、仕事に対して強いストレスを感じることとなりました。後期研修に突入してもそれは変わらず、上記のような人間関係や業務負荷の高い世界に居続けることができなかったのだと思います。

元々のストレス耐性が弱く、その後もその耐性はあまり強くなることができず、結果として臨床医をドロップアウトするに至ったように思います。

以上です。
こうしたことに耐え、日々の業務に当たられている臨床医の先生方には頭が下がる思いです。

ただ、その一方で、このようなことに耐えきれない方々もやはり一定数おられるのではないでしょうか。そのような方々には、「私を見てください。なんとか医療界の末席で踏みとどまって働けていますよ」とお伝えできればと思っております。

もし「臨床医はもう無理…」とお思いの後期研修医・専攻医の方々、ご自身にとって働きやすい環境の仕事があるかもしれません。リクルートドクターズキャリア[PR]や、エムスリーキャリアなどにご登録の上、転職エージェントにご相談いただいてはいかがでしょうか。

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